カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
台湾出張を前に、30年前の台湾留学を振り返ってみたい。 私が参加したのは、「中華民国八十三年国際青年夏令学術研討会」というプログラムである。当時配られた冊子をみると、主催は「教育部」「国立政治大学」「中国青年反共救国団」とある。期間は、「中華民国八十三年(1994年)7月5~25日」だった。 三週間弱に及んだ日程は以下のとおり。 7月6日(水) 各國參加人員牴華報到 【コメント:このころはまだ、「中正国際空港」(現台湾桃園国際空港)でした。】 7月7日(木) 行程說明/生活環境介紹及語言分班/午餐/訪問救國團/救國團晚宴 【コメント:2000年に「中国青年救国団」に改称。】 7月8日(金) 簡易中文會話/開幕典禮/參觀中正紀念堂/各國簡介 【コメント:なぜか学生を代表して蒋介石像に献花をすることになった。この日、北朝鮮の金日成が死去して驚いた。】 7月9日(土) 簡易中文會話/專題演講題目:中華民國當前之國際關係/家庭接待【コメント:ホームスティに参加した記憶がない。希望者のみだったのか?】 7月10日(日)自由活動(家庭接待)【コメント:うーむ。やはり記憶がない。】 7月11日(月)簡易中文會話/專題演講題目:中國習俗/中華民國的經貿關係/中國舞蹈欣賞 7月12日(火)簡易中文會話/專題演講題目:中國大陸問題研究/忠烈祠致敬/參觀國立故宮博物館/各國簡介 7月13日(水)簡易中文會話/專題演講題目:中國文學欣賞/訪問榮民總醫院/中國針灸介紹/榮總晚餐 7月14日(木)簡易中文會話/專題演講題目:中國音樂/參觀台北世貿中心/各國才藝表演 7月15日(金)搭遊覽車赴宜蘭/遊覽冬山河/午餐(蘇澳)/訪問太魯閣國家公園管理處/遊覽太魯閣國家公園/晚餐(宿天祥青年活動中心)【コメント:記憶がない。恐らく、台風のため中止になったのではなかったか。】 7月16日(土)赴花蓮/參觀榮民大理石工廠/花蓮學苑午餐/搭遊覽車返台北【コメント:台風で花蓮に行けなくなり残念だったのは覚えている。花蓮学苑というのは救国団の施設らしい。】 7月17日(日)自由活動(家庭接待)【コメント:記憶がない。】 7月18日(月)專題演講題目:戰後台灣經驗的歷史考察/訪問政治大學國際關係中心/民俗園遊會【コメント:政治大学は11年前に出張したが、国際関係センターのあるキャンパスだったかどうか不明。「民俗園」は、林安泰古暦民俗文物館のことか?】 7月19日(火)赴中興新村/訪問台灣省政府/參觀省政資料館(省政府午餐)、赴日月潭/參觀九族文化村/晚餐(日月潭青年活動中心)/宿:日月潭青年活動中心【コメント:台湾省政府というのが歴史を感じる。日月潭に泊ったのは覚えている。九族文化村はまだあるらしい。】 7月20日(水)遊覽日月潭風景區/午餐(日月潭青年活動中心)/赴高雄/晚餐(高雄國軍英雄館)/宿:高雄國軍英雄館【コメント:高雄では変わった名前のホテルに泊ったものだ。】 7月21日(木)赴墾丁/遊覽墾丁風景區/午餐/遊覽墾丁風景區/返高雄/晚餐(高雄國軍英雄館)/宿:高雄國軍英雄館【コメント:バシー海峡の海の色が綺麗だった。】 7月22日(金)赴佛光山/遊覽佛光山/午餐(嘉義學苑)/返台北/晚餐(台北國際青年活動中心)/宿:台北國際青年活動中心【コメント:今度の出張で嘉義に行くのだが、初めてだと思っていたら嘉義学苑というところに立ち寄っていたらしい。驚き。】 7月23日(土)結業餐會 7月24日(日)離華賦歸 さて、このプログラムは台湾の大学生によって運営された。みな有名大学の学生で、優秀で性格の良い人達だった。冊子を紐解くと、13名の大学生がスタッフになっている。一方参加者は国籍別に、オーストラリア1、ベルギー2、チェコ3、ドミニカ1、ドイツ1、インドネシア3、イタリア3、日本6、ヨルダン4、韓国3、マレーシア2、オランダ1、ペルー1、フィリピン3、ポルトガル5、南ア4、スペイン2、タイ1、アメリカ2、ベトナム3、合計51名である。日本6名のうち2名は沖縄からの参加者だったが、別の冊子では彼らだけ国籍が「JAPAN」ではなく「Ryukyu」となっていて驚いた。昔のことでインターネットは普及しておらず、台湾の大学生や各国からの参加者達とメールやSNSで連絡することが叶わないのが残念である。 30年目にして初めて麗しき台湾留学を振り返ってみたが、改めて思い出すことも多く中々面白かった。改めてこのプログラムで世話になった関係各位に御礼申し上げたい。 台湾留学時代によく聴いた歌(2) #
by enzhja
| 2024-03-01 21:51
| 台湾
|
Trackback
|
Comments(0)
来週台湾に行く。出張である。 台湾に行くのは留学を含めて4回目となる。中国屋の人生を振り返ってみて、台湾に興味を持った時期はそう多くない。留学したのは台北が1994年、北京が2002年である。1994年の台湾は李登輝総統の執政下で民主化の真っ只中で、台北市内にMRTはまだなく、市内のあちこちでMRTの建設が見られて活気に満ちていた。大学の中国語学科を卒業したのが1990年、中国語学科に入ったものの中国語の授業に興味が持てず、その代わり1988年のソウルオリンピックに向けて躍動著しい韓国と韓国語に興味をもった。そのため、人生最初の海外旅行は1988年の韓国である。大学4年生時の1989年に(第二次)天安門事件が起こったこともあり、結局在学中に中華圏に足を踏み入れることはなかった。 その意味で1994年の台湾留学は卒業後4年目にして初の中華体験であった。初めての中華圏なのに中国語に困ることもなく、しかも今もって多くの人に「1990年代の台湾がいちばん良かった」と言わしめる絶好の時期の留学だったのにそのまま台湾一辺倒にならなかったのは、帰国後ほどなくして韓国人の親しい友人ができて、再び韓国と韓国語に傾倒したのが理由だろう。 2000年に初めて出張の形で中国大陸に足を踏み入れ、2002年から一年間北京大学に留学したため、その後は何となく「大陸派」とのアイデンティティーがあったような気がする。そのせいか、2011年と2013年に台北に出張したにも関わらず、特に何の印象も残っていない。取り分け2013年は全く興に乗らず、一行が夜市に行こうというのも断ってホテルで一人読書に勤しんだものである。 今回は少し違う。先日、別のプログラムで台湾留学する学生達に台湾事情の講義をする機会があり、再び台湾についてまとまった知識を仕入れる必要性を実感したのである。やはりバランスを持って両岸関係を見ることが重要だ。読んだのは以下のとおり。 『台湾の本音』野嶋剛(2023年) 『台湾とは何か』野嶋剛(2021年) 『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』野嶋剛(2015年) 『台湾の歴史』若林正丈(2023年) 『台湾』伊藤潔(2020年) 『アジアの知略』李登輝・中嶋嶺雄(2000年) 『台湾の主張』李登輝(2021年) 『街道をゆく40 台湾紀行』司馬遼太郎(2021年) 『台湾鉄路千公里』宮脇俊三(2022年) 『地球の歩き方 台北 2024-25』 『地球の歩き方 台湾 2023-24』 『Hanako特別編集 台湾』(2023年) 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論』小林よしのり(2020年)【3月2日追記】 台湾留学時代によく聴いた歌(1) #
by enzhja
| 2024-02-29 15:48
| 台湾
|
Trackback
|
Comments(0)
全国通訳案内士試験は合格で終わりではない。都道府県に自分で登録申請しなければならないのである。いささか面倒である。手数料もかかる。仕方ない。 本日、幸い「全国通訳案内士登録証(中国語)」が届いた。合格発表が2月2日、申請書類一式を郵送したのが2月15日、登録証の到着が本日2月28日である。ここで、登録申請について振り返ってみたい。 まず、都道府県の担当部署を調べて、自分が試験に合格したこと、登録申請したいことを伝えることから始まる。各都道府県の担当部署一覧は観光庁の合格者宛文書に掲載されている。私の場合、8年前の英語での登録の際にやりとりしたメールが残っていたので、とりあえずその方にメールして現在の担当氏の連絡先を教えてもらった。 ほどなく担当氏から連絡があり、必要書類は以下のとおりだった。 (1)通訳案内士登録申請書(様式あり) 1通 (2)写真 2葉 (3)合格証書の原本及び写し 各1葉 (4)履歴書 1通 (5)健康診断書(様式あり) 1通 (6)登録手数料 5,100円(収入証紙) (7)宣誓書(様式あり) 1通 (8)住所、氏名、本籍及び生年月日を確認できるもの (1)は所定の様式に記入すれば済む。 (2)は証明写真機で普通に撮影した。 (3)8年前の英語の時は、厚紙に印字された合格証書が郵送されたものだ。今は全国通訳案内士試験のマイページからDLする形である。何とも味気ない。DLしたものをカラーでプリントアウトし、それを白黒コピーして両方提出した。最早原本も写しもないのではと感じる。 (4)は買うのも面倒なので、JIS規格の履歴書テンプレートをDLして利用させていただいた。記載するのは住所氏名等と学歴、職歴のみ。 (5)はフィジカルではなくメンタルに関する診断書である。これが一番厄介だ。私は8年前と同様、勤務先の保健室におられるドクターに診断していただいた。簡単な問診と、両腕を捲り上げて薬物の注射痕がないかどうかの確認等。 (6)結構高い。しかし中途半端な金額である。 (7)も所定の様式に記入するのみ。 (8)は、本籍の記載のある運転免許証の写しでも良いようだが、私の場合記載がなかったので、コンビニで住民票の抄本をとって提出した。 以上を取り揃えて都道府県の担当氏に郵送する。8年前の英語の時は物珍しさもあり直接持参したものだが、今回は本業多忙で事前の予約が面倒だったので郵送で済ませた。もし何らかの理由で早めの登録が必要な場合は、(2)(4)(8)は事前の準備が可能だろう。合格を確認した時点で(3)を準備し、都道府県から(1)(5)(7)の様式を入手、金額を確認して(6)を購入する。一番厄介なのは(5)である。ネットを渉猟するといろんな体験談(苦労話)が出てくる。まずはかかりつけ医に相談することになるだろう。将来的に(5)の提出は不要にしてもらいたいものだ。 一生懸命試験勉強して合格し、やっとこさ登録申請書類を揃えて都道府県に郵送する。そして送られてきた登録証は、8年前同様、ラミネート加工された手作り感満載のチンケな代物だった。サイズもクレジットカードより大きいため収納もままならない。英語と中国語と晴れて「二枚持ち」になった訳だが、こんなチンケな登録証は嬉しくない。せめてサイズをクレジットカード大にして、大学の学生証くらいの質感には改善してほしいものだ。 さて、登録証が届き中国語の登録番号が分かったので、次は新しい名刺を作成し、それから地元の通訳案内士団体に入会したいと思います。
#
by enzhja
| 2024-02-28 15:45
| 通訳案内士(中国語)
|
Trackback
|
Comments(0)
合格体験記の最後は「ロールプレイ」である。 ここまで来ると心身ともにヘトヘトで、面接官から渡された「ロールプレイ」の説明文を熟読する余力は正直なかった。 手渡されたシチュエーションのおおよその内容は、「原爆資料館を楽しみに来たが、行列が長くてあと1時間炎天下で待たなければならない。何か良い方法はないか」といったものだった(例によって記憶が曖昧であり細部は恐らく実際と多少異なる)。実際の説明文はもっと長文で、確か「個人旅行で来ており、旅程の変更は可能」とか何とか細かい条件が書いてあった気がするが、疲労のため頭に入らなかった。 私 「暑いですが体は大丈夫ですか?」 面接官「大丈夫ではない」 私 「広島には原爆資料館以外に見所として宮島もある。日本三景の一つで世界遺産にも指定されている。ここから近いので旅程を変更しては?」 面接官「ぜひとも原爆資料館に行きたい」 私 「広島はお好み焼きが有名で、大変美味しい。お好み焼き屋で昼食をとりつつ休憩してはどうか」 面接官「原爆資料館は諦めなければならないのか」 私 「原爆資料館には売店もあり、そこに休憩室がある。残念であるが、売店で資料集かDVDを購入して持ち帰り、ご自宅で鑑賞されてはどうか。資料集やDVDには原爆資料館の展示品が詳しく説明されていて勉強になる。また休憩室は冷房も効いて涼しい」 面接官「資料集かDVDを買って帰る?ハハハハ」 何ともしまりのないロールプレイになってしまった。ロールプレイについても本業多忙のため事前学習はほぼゼロだった。が、「ホスピタリティ」が採点基準だと何かで読んだ記憶があったので、一応その点にだけ気をつけて「体は大丈夫ですか」で始めた次第である。「お好み焼き」の中国語は事前に暗記していたおかげで、自信を持って訳出できて気分が良かった。最後はなぜか良く分からないが面接官にウケてしまった。 後から思い起こすとDVDを「買う」のところを緊張のあまり間違えてmai4と四声で発音してしまった(DVDを「売る」と言ってしまった)ような気がして、気が気ではなかった。口述試験を終えた後、中国人面接官が「あなたは、かなり長い間中国語を勉強されてますね」と仰った。疲労困憊の私は「学生時代から勉強しています」と答えるのが精一杯で、脱力感とともに試験会場を後にしたのだった。 それからしばらくは、「原爆ドーム」の中国語をチェックしていなかった悔しさと、「買う」を四声で発音するというありえない初歩的ミスを犯したような気がして落ち着かない日々を過ごすことになった。 というわけで「ロールプレイ」のコツ。 正直、よく分からない。あえて言えば、やはり「ホスピタリティ」か。「お好み焼」「宮島」で困らなかったのは「300選」に負うところが大きい。「300選」に感謝である。(了)
#
by enzhja
| 2024-02-13 22:05
| 通訳案内士(中国語)
|
Trackback
|
Comments(0)
続いて、逐次通訳について。 「プレゼンテーション」が終わるとホッとする間もなく「逐次通訳」となる。正直なところ、事前学習はほぼ100%「プレゼンテーション」に費やしており、「逐次通訳」の勉強はほとんどしていなかった。「ハロー通訳アカデミー」のHPで過去問を集めて一つ一つ中国語に訳したりしたのだが、本業多忙のため時間がなく途中で挫折した。 さて、面接官から出題された逐次通訳問題は、「広島平和記念公園は都市公園であり、原爆ドームがある。資料館には原爆に関する資料が多数展示されている。原爆ドームは世界文化遺産に指定されている」といったもの(記憶が曖昧なので細部は多少実際と異なるかも知れない)。口述試験に際しては一応ヤマを張っていた。5月にG7広島サミットが開催されたこともあり、広島は出題されることが予想された。その点ではヤマは的中した。しかし、逐次通訳の準備がほぼゼロであり、また、ヤマを張った割には不徹底で、肝心の「原爆ドーム」の中国語訳が分からず往生した。 振り返ってみると、逐次通訳のコツは、メモ用紙に逐一日本語を書いていくのではなく、メモはそこそこにして、面接官の話す情景を頭の中でビジュアル化することだと思う。メモに集中してしまうと、どうしても細かい日本語の表現にとらわれて、全体像が見えなくなってしまう。訳出するときは、脳内にビジュアル化された輪郭を浮かべながらアウトプットすると良い。 しかし「原爆ドーム」には往生した。ヤマ張りが不徹底だったの一言に尽きる。何とか訳出しようと焦るが、面接官はじっと私の方を凝視していてますます焦る。仕方なく、「原爆投下の爆心地にあった建物で、唯一現存する建物。日本語では「原爆ドーム」と言う」と苦し紛れの訳出をした。正直あまり気分の良いものではない。しかし、何も訳出しないのも問題だろう。もしかしたら、分からない言葉に遭遇した際の臨機応変な対応力(?)みたいなものも測られているのかも知れない。一方、「ユネスコの世界文化遺産に指定されている」は定型フレーズなので、問題なく訳出できた。 と言うわけで「逐次通訳問題」のコツ。 1)メモに引っ張られず、頭の中で問題文をビジュアル化して訳出する。 2)その年のニュースや出来事等を参考にしてヤマを張る。 3)単語が分からない場合も、何とか苦し紛れに訳出する。(続く)
#
by enzhja
| 2024-02-11 10:21
| 通訳案内士(中国語)
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||